カテゴリ:1学年 学習活動

持続可能な社会と科学技術


 1学年では「総合的な学習の時間(鳩学)」として、『持続可能な社会と科学技術』という特設単元を設け、下のような学習内容で能登臨海実習の事前学習を重ねてきました。

①関東大震災からの復興のありかた(~後藤新平が目指した「生活を衛る」都市構想を中心に)

②高度経済成長期における公害問題の現代的意義(~水俣病とイタイイタイ病を中心に)

 いずれも20世紀のわが国でおきた大災害(天災・人災)ですが、東日本大震災からの一日も早い復興や、放射能汚染に関連した差別・偏見の解消が大きな今日的課題となっている21世紀の現在とも重ね合う部分の多い学習であります。生徒たちは単に歴史的な事実を学ぶだけではなく、その時代に生きた人々の願いや思いに寄り添い、今を生きる自分自身の問題意識にまで学習を高めていこうとする姿がありました。この学習の概要について、生徒たちの感想をもとに紹介することで、生徒たちの成長の様子が伝われば幸いです。

 

<第2・3時:『水俣病と向き合った中学生』と向き合う>

同世代が出演するドキュメンタリー番組『水俣病と向き合った中学生』を手掛かりに、水俣病の「怖さ」の本質とは何かを生徒同士の意見交換を通じて深め、「自分にできること」を考えました。

  水俣病を知る方々が少なくなってきている今、「昔のこと」「遠くで起きた事」などという理由で他人事にせず、私たちが正しい知識を得たり、後世に伝えていこうとしたりすることが、「自分たちの問題として受け止める」ということだと思いました。今日の授業で正しい知識を得たことで、ただ「こわい」だけではなくなりました。

  無意識に差別をしている自分がいた。意識的に「見下そう」とか「いやだ」とか思っていないのに、そうしている自分がいた。たぶん「自分や普通と違うから」という理由だと思う。そのことにしっかり向き合わないと、「同じようなこと」が起こりうると思う。身近にあるいじめや差別、それが公害病であれ、いじめであれ、どれも同じだと思った。僕はその身近な差別やいじめをなくすことから始めようと思う。

  「差別」って何だろうと改めて思った。私も写真を見たときに「こわい」と思ってしまった。「『こわい』と思っても、口に出さないことが大切だ」という意見もあったが、私は、口に出さなくても、思わないようにするためには知ることが大切だと思った。

  「わたしは絶対に差別をしない」なんて、ただのきれいごとだと思う。私も含め、実際に出来る人はそうはいない。でも、患者の写真を見て出る「気持ち悪い」という言葉は、自分が罹っていないからこそ言えることだと思う。今は体験者がいても、次の世代のときにはもういないと思う。だから、私はこの時代に生まれたことの意味を考えたい。

 


<第4時:日本初の公害裁判勝訴までの道のりを学ぶ>

初めて住民側が裁判で勝利したイタイイタイ病訴訟とそこに関わる多くの人々の願いを学びました。

  島林弁護士や小松さん達は「私達の世代のために戦ってくれた」と気付いたとき、すごく有り難いことだと感じた。とても大きくお金もある大会社に立ち向かうのは大変だったと思うけれど、「子どもや孫のため」と戦って歴史を変えた人たちの勇気はすごいと思った。

  イタイイタイ病は、初めて裁判で勝てた公害裁判だったことを知って驚いた。公害はとてもいけないことなのに、それまで裁判で勝てなかったのは、当時の人々の中に、公害を認めたくない、という思いがあったからだと私は思った。産業が発達することよりも、人の命の方が大切だ。人の命がどれだけ尊いのか、改めて感じさせられた1時間だった。

  …イタイイタイ病はとても昔に起きたことだと思っていたけれど、カドミウムによって汚染された農地の土の入れ替えが終わったのがつい最近(※注2012年)なのを知り、とても驚きました。この裁判以降は多くの公害裁判が勝利できたことを知り、弁護士たちは多くの人たちを救ったのだと思いました。

<第5時:イタイイタイ病資料館見学の「めあて」を考える>

単元のまとめとして意見交換をするなかで、差別をなくすためには「正確な知識」に加え、「判断力」や「共感力」などの「理性」が必要だと気付き、資料館見学の「めあて」を各自で考えました。

  ただ聞くのではなく、聞いて考え発信することを大切にしたい。

  「これは過去のことなんだ」と片付けず、しっかり目を向けられるようにしたい。どんなに目をそむけたくても、私は最後の1秒まで心に焼き付けたいと思います。

  裁判についてもっと詳しく知りたい。最初は無理そうだったけれど、3年かけて勝訴したことにとても興味があります。

「より良く伝える」技法を学ぶ~ 新聞スクラップ作品の学びから

 社会科では「より良く伝える」技法を学ぶことを目的に、夏休み前から取り組んできた「新聞スクラップ作品」が全員完成し、授業で発表会の機会を設けました。
 生徒たちは班別発表会→学級発表会→学年発表会 という3回の発表を通じ、「より良く伝える」ために必要な様々な工夫に気づくとともに、実社会への興味・関心をより広げることができました。
 学年発表会の最後には、信濃毎日新聞社読者センター長を務められる畑(はた)光一さんからのお話もお聞きしました。その中で「なぜ、君たちは学校で学ぶのだろう」という問いかけがありました。そして、畑さんは「知る→考える→行動する」と黒板に書いて下さいました。

 今回の学習で、調べたりまとめたり発表を聞いたりすることを通じて、生徒たちは「自分とは違う見方や考え方がある」ことに気付きました。また、友達の考え方やまとめ方を参考にしようと「刺激」を受けた人も多いでしょう。「視野を広げる」ということは、現実の社会事象を知ることだけではありません。内なる自分自身の見方や考え方を深めることは、自分以外の誰かと関わりあうことで初めて可能となります。そんな意味で、この学習を通じ生徒たちは「学校でしかできない」学びをすることが出来ました。

県立歴史館での学習を振り返る

   地域探索では、県立歴史館の福島正樹先生から、企画展「山と海の廻廊を行く~信濃と北陸をつなぐ道」について詳細な解説をして頂きました。東日本と西日本は、新幹線ができる1000年以上前から3つの道「東海道」・「北陸道」・「東山道(のちに中山道)」でつながっていて、それらはすべて長野県やその周辺を通過しているんですよ。長野県は日本の東と西を結ぶとても重要な場所なんです。・・・

 学校では

★「境」
長野は東日本と西日本との境であり、5つあるJRのうちの3つが長野県を通っていたり、60Hzと50Hzの電力の境があったりと、長野県は地質、文化、経済において東西を分ける境目である。

★「交流」
糸魚川でしか取れないヒスイが塩尻で見つかったり、長野の赤色の土器が北陸で見つかる一方で、北陸にしかない白い土でつくられた土器が長野で見つかったり、海がない長野でシュモクザメの絵が描かれた器やサケの背骨の耳飾りが見つかったりしたことなどから、長野は大昔から北陸と深く交流していたことがうかがえる。
★「受信・発信」
長野の土器の模様や形が北陸に伝わったのち、北陸の土器の形が長野に持ち込まれたことなどから、文化や技術はずっと発信する側、ずっと受信する側であることはあり得ないことがわかる。情報を発信する側と受信する側の立場は、逆転することがある。
★「つなぐ」
長野には北陸道と東海道を結ぶ「道と道をつなぐ道」が通っていて、屋代はそうした道をつなぐ「つながりの地域」だった。道の途中には駅家(うまや)と呼ばれる休憩や馬の乗り継ぎをする場所があった。今は新幹線で長野は北陸とつながったが、何千年も前から北陸と道でつながっていた。

 などと学習を振り返る中で、生徒たちは古来から長野県と北陸地方には密接なつながりがあったことを改めて確認しました。